2013年8月22日木曜日
メルケルのダッカウ訪問
メルケルのダッカウ訪問
ドイツはまもなく総選挙を迎える。いまはそれがEUでの最大の関心事となりつつある。ユーロ・システムの有り様にも大きな影響を及ぼすからである。
その折り、メルケルがミュンヘン郊外にあるダッカウ収容所跡地を訪問した。ドイツの首相としては初めてのことである。
この収容所はヒトラーが政権を奪取した直後に政治犯を収容するために作られたのだが、ユダヤ人強制収容所の第1号であり、以降ヨーロッパの広域に多数の収容所が建設された。
野党はこの訪問を批判している。ビール祭りの開催されているこの時期に選挙活動の一貫として行われている点への批判である。
(昨秋、ミュンヘンを訪れる機会があった折り、A氏に案内されて当地を訪れたことがあったため記した。訪れたときの印象では、あの地で起きていたことを生々しく記すほどのものは残っておらず、いくつかの建物とポスター的なものの展示、それに記録映画のようなものであった。)
ナチスのおよぼした影響はあまりにも深い。フランスは戦勝国だが、ほとんどの期間、ナチスの占領下におかれており、その間、フランス国民はヒトラーに仕えていたという屈辱的歴史を隠したまま、いまに至っている。
それにドイツ人自身もヒトラー賛美路線を12年間も突っ張っしっていたという深い負い目がある。ヒトラー批判を叫んでも、ヒトラーが全盛のときはみな、彼に従ってユダヤ人虐殺も彼らの財産も奪っていた、というドイツ人ならだれしも聞く耳を喪失しているような事実が残ったままである。ナチス戦犯の今に至る追究も、そうした巨大な問題の氷山の一角の傷をなめるような感がある。
ギリシアはヒトラーと戦ったという自負があるが、いまのドイツはその恩を忘れてギリシアを財政的に締め上げているという憤りがかなり心の底に潜んでいる。
イタリアはヒトラーではなくムッソリーニ体制である。ヒトラーのような残虐非道なことはしなかったが、1943年、北アフリカからの連合軍の北上によりイタリア南部は連合国がわの支配になり、北部はナチス支配というかたちで分断状態が生じた。イタリアではムッソリーニは民衆により虐殺されたが、イタリア国民に与えたマイナスの影響は、ドイツよりも、そしてフランスよりも小さいように思われる。
ロシアはスターリングラードの戦いを筆頭に2000万人もの人命を喪失している。当初、ロシアは米英と組んでいた。それが戦後、しばらくすると、米ソの冷戦体制というコースを辿ることになってしまう。諸国民の抱える精神的傷はあまりにも深い。