2013年8月24日土曜日

英米国際通貨体制交渉 - 1943.4 - 1944.4

英米国際通貨体制交渉 - 1943.4 - 1944.4

・ホワイト案にユニタスが導入されたのは1942.12.11であったが、これにはほとんど意味・意義は付されていなかった。

pp.233-448

・1943.4.7
両案公表 p.233

・1943.6 ワシントンで非公式の会議

・1943年6月29日
ここでは両案の統合と書かれているが、実際にはホワイト案をもとにしているから、ケインズ案を放棄して、事実上ホワイト案にのったうえで、ユニタスのみを基金が扱うことを提唱している。

・1943.7.10のホワイト案を読んでのケインズの反応(この書簡は「決裂も辞さず」という表現がみられる)のなかに、「基金はユニタスのみを扱うべし」p.317というのがある。これは下記の「ユニタスの貨幣化」とは異なる。後者ではユニタスは他の貨幣とともに併用される旨のものであるからである。

・ユニタスを貨幣化するという提案がホワイトに出されたのは、1943

年9月21日である。これは上記7.10のときと比べて、実質的に後退しているとみるべきであろう。

・1943年9月24日の米英会合、そして10月3日の書簡からみて、ユニタスの貨幣化にはアメリカ側は、考えは優れているが、現実的にアメリカで受け入れられる可能性はない、として反対している。
 このスタンスにケインズは、怒り・不満を表明している。pp.359-360, 363-364
ケインズとホワイトの関係も最悪の状況に陥っていた。

・1943.10.12
Anglo-American Draft Statement of Principles
両国間での非常に重要な公的文書というべきもの。ここではユニタスは消えており、イギリス側は留保条件を付けている。
 そして付属文書でユニタスが語られている、という奇妙な形式になっている。

・1943.12.7ではユニタスの貨幣化は重要度において移行期の問題の次におかれている。p.393

・1944.2.7ではケインズは、ほとんどホワイト案を承認するにいたっている。p.399 とくにp.405ではケインズの変節ともみえるほどである。

・1944.4.22 
Joint Statement
そこへのケインズの説明 p.437
バンコールやユニタスはなくともいいとまで言っている。p.438