2013年8月26日月曜日

ケインズのスタンスの変化 - ケインズはなぜホワイト案を認めるに至ったのか、その経路

ケインズのスタンスの変化 - ケインズはなぜホワイト案を認めるに至ったのか、その経路

ケインズはどのようにしてホワイト案を認めるに至ったのかだが、次のような経緯がある。

(1) 1943.6.29日に記した「CUとSFの統合」(p.308)ではホワイト案をもとにして述べられており、統合ではなく、CU案の放棄と解されるかたちになっている。拠出原則の承認もそれを象徴する。
ただし、ケインズはSFの「ユニタス」を可能な限り貨幣化することを本質的な条件としていた((i))。


(2)しかし1943.7.19日(p.326)では、メンバー国の為替変更にもっと弾力的に、基金はユニタスのみを扱うべし、金の拠出額を増やさないように、という3条件にアメリカ側からの譲歩がないかぎり、交渉の決裂もやむをえない、と述べていた。
ここでのケインズの最も大きな主張は、「ユニタス」の(国際)貨幣化である。そして多国間決済をなんとか実現させようとするものである(pp.318-319)。

(3) 1943.9.21(p.341)では、ホワイト宛にユニタスの貨幣化提案を行っている(esp. p.343)。

(4) 1943.10.3 (p.357) のイーディ宛書簡では、米英間の交渉の現状が報告されているが、「ユニタスの貨幣化」にはアメリカ側は激しく反対している。
同じく、同日付のイーディ宛書簡では、ホワイトならびに、とくに(ホワイトの側近)バーンスタインにたいする罵詈雑言的発言は処々にみられる。

このころ、ケインズ側とホワイト側の関係は非常に険悪なものとなっていた(p.364)。

(5) とはいえ、1943.10.12 (p.379) の両国間の討議の結果を記した文書によると、「ユニタスの貨幣化」(p.389)、「多数国間での決済」(p.382)などの項目は存続している

(6) だが、おどろくべきことに、1944.2.7の文書(p.399)では、ケインズは、ほとんどアメリカ側の案に賛成している。p.405の18、19はほとんど強引なレトリックである。

(7)1944.4.22のケインズの「共同声明への説明的覚書」(p.437)の(1)ICUとSFは本質的に同じもの的発言、および(2)もはや新しい国際通貨単位は不要的発言は、まったくの政治家的発言に終始している。これは最終的なホワイト案に至ることになる。
 この共同声明では「五分の四」や拠出額の25%を金で拠出(p.470)といったアメリカ側の主張はそのままになっている。ユニタスは消滅し、基金はたんなる「基金」になり、銀行的様相を喪失させてしまっていた。

以上の過程で感じるのは、ケインズはイギリス政府の代表であるという公的な立場にあるということである。ケインズの本音はあくまでもICUプランであり、それにたいしSF案は非常に劣ったプランである、という認識にあったであろう。しかし他方でプラグマチストとしてのケインズの側面も処々に露出している。とりわけ大英帝国の国際的地位の維持という側面が重要である。
lose face altogether ... capitulate to dollar diplomacy (p.318)
jeorpadasie the international position of sterling... (p.319)

こうしたなか、ケインズはアメリカ側の見解をほとんど飲み込むかたちで国際通貨体制の構築を優先したということがいえよう。

 考えてみれば、救済案、一次産品ともども、失敗に帰している。そうしたなか唯一残った国際通貨案をまがりなりにも成立させることは、大英帝国の権益を維持するうえでも絶対的に必要とされたのである。

(イギリスはアメリカからレンドリースというかたちで莫大な支援を受けていた。スターリング残高問題という戦後予想される深刻な問題も抱えていた。)