金融のグローバリゼーション考
・1971年のニクソン・ショック
これにより、戦後のIMF体制が終焉を迎えることになった。IMF体制はドル本位制であったが、同時に固定為替レート制度であり、かつドルも金1オンス=35
ドルという規制が設けられていた。これがニクソン・ショックによって消滅することになり、国際通貨体制は、先進国において変動相場制といかなる金との接続ももたない制度に変わることになった。
これは、いわば各国が平価を維持する義務、したがってつねに市場への介入を要請されるシステムから、すべてを外為市場に委ねるという市場への信頼を強固に前面に押し出したシステムへのレジューム変換を意味するものであった。
・1985年のプラザ合意
これは日本にとっては大きな試練になり、後年のその対応への失敗が90年代の「失われた20年」につながることになった。大幅な円の切り上げがG5による協調介入で実施された。
わが国は「到来する円高不況」に対処するため、多くの景気刺激策、金融緩和政策、さらにロボット導入による合理化対策を進めた。
・90年代前後から、アメリカ国内での金融の自由化、そしてそれと並行して証券化商品の開発(金融工学の進展)が急速に進んだ。経済学における「新しい古典派」の支配、そしてネオ・リベラリズムの隆盛などにも後押しされ、それまでのグラス=スティーガル法は徐々に換骨奪胎し、それは1999年のグラム=リーチ=ブライリー法により完成をみることになった。
・90年代は同時にアメリカにおけるIT革命が世界をリードする時代でもあった。それまで日本や西ドイツに押されぱなっしであった実業の世界でも、アメリカがリードする時代を迎えた。→ このことが、インドをBRICSの一員に押し上げる大きな要因となった。
・この金融の自由化はイギリスでも進行し、金融は一挙にグローバリゼーションへと進んでいくことになった。
・90年代はソ連の崩壊により、共産圏が資本主義化の道を突き進んだ時期でもある。社会主義はすたれ、ネオ・リベラリズム、市場崇拝的傾向が濃厚になっていった時代でもあった。
・金融のグローバリゼーションは、一方で資本主義のカジノ化をもたらし世界経済を非常に不安定なものにしたが、他方で金融資本はグローバルに利潤を求めて地上の隅々にまで進出をはたし、その影響をうけて多くの地域での経済発展をもたらすことになった。
・ BRICSの台頭は、21世紀の重要な経済・政治現象である。ロシアは資源の高騰により息を吹き返した。中国は、ブラジルなどの諸国の経済発展を刺激することになった。
・「リーマン・ショック」により、世界経済は新たな局面を迎えることになった。証券化商品の暴走を止める手段はなくなり、メルトダウンに至ったのである。それにたいし、破綻した巨大金融機関を超法規的手段(投資銀行を商業均衡に改編することでベイルアウトを行うなどは最たるもの)による救済したが、これは「ネオ・リベラリズム」の鮮やかなる破綻劇であった。
・金融システムをどこまでコントロールできるのか、は重要な論点であるが、その道は遅々たる感がある。SBSも健在であるから、現状では第2のリーマン・ショックの到来を防ぐ手段を世界は持ち合わせていないということになるのである。